「特殊」ではない?小学校受験

JIJI.COM から転載

 

 

 控えめな刺しゅうが素敵なワンピース。さりげないレースやフリルが上品な小物。小学校受験について調べようと、初めて足を踏み入れた「お受験専門店」は、独特な雰囲気に包まれ、これまで見たことのない品物でいっぱいだった。試験に臨む親子に必要なグッズが揃う人気店だというが、自分のような人間は場違いに感じられ、なんだか少し戸惑ってしまった。

 東京・恵比寿にあるその専門店を教えてくれたのは、中学校時代からの友人。難関私立小学校に娘を合格させた経験を持つ彼女は「お受験事情」に精通している。「こんなお店があるのね」と驚く筆者に、「これは『付けポケット』。受験用のお洋服にはポケットが無いこともあるから」「これは『傘袋』。試験日に雨が降ったとき、会場で親子3人分の傘を入れることができるのよ」と店の品々について解説してくれた。

 

 しばらく店内にいて、紺色の母親用スーツなどを手に取り眺めていると、「お母さまはお背がお高いから、早めにオーダーした方がよろしいかと思いますよ」と背後から女性店員の優しげな声が。もちろんオーダーの予定などないのだが、彼女の話す「お受験のドレスコード」に思わず聞き入ってしまった。例えばスーツは「大多数の学校では紺だが、A小学校だけはグレー」といった暗黙のルールがあるとのこと。そんなこんな、店内滞在は20分足らずだったと思うが、「特殊な世界に圧倒された。

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 「特殊な世界」―。小学校受験に対して、少なからずの人が抱くイメージだと思う。筆者も子育てと無縁だったころは、裕福で家柄の良い特別な家庭、あるいは有名人の子どもらに限られたものだという印象を漠然と持っていた。ところが2年半前に長男を産み、同じような年頃の子どもを持つ母親と話す機会が増えて、「小学校受験を視野に入れている」という家庭が意外に多いことに気付かされた。

 幼児教育や受験業界の関係者によると、学習時間と内容を減らす、いわゆる「ゆとり教育」が公立小学校で導入された2002年ごろから私立小学校を目指す人は増え、受験者の裾野は大きく広がっている。そして、近年の傾向として特に指摘されるのが、共働き家庭の増加だ。受験準備のための幼児教室でも、土曜日のクラスがワーキングマザーに人気。一方の私立学校側でも、共働き家庭をターゲットに、アフタースクールなどを開設するところも増えているそうだ。そんな「ワーママのお受験事情」について調べてみた。

(時事通信社・沼野容子)

 

 

首都圏の受験者は「1万人」

 まずは小学校をめぐる一般的な状況だが、文部科学省の学校基本調査によると、小学校の児童数は過去最高だった1958年度の1349万人から、2015年度は654万人に半減しており、少子化の進行は顕著だ。15年度の小学校の数は、国公私立計で前年度比251校減の2万601校。第1学年の児童数は同7871人減の108万2772人となっている。

 少子化を反映し、公立小学校の数は10年で約1割減少したが、私立は194校から227校に増加した。全国でどれだけの児童が小学校受験に臨んでいるか実数は不明だが、小学校受験関連サイト「お受験じょうほう」などを運営するバレクセル(東京都渋谷区)の分析によると、国立・私立小学校が集中している首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)の6歳人口は約30万人で、うち毎年1万人程度が受験をしている。リーマンショック(08年)、東日本大震災(11年)による落ち込みはあったものの、概ね同水準で推移しているという。

 15年度入試についての同社調査で、首都圏の私立小学校の志願者倍率がもっとも高かったのは、13年4月に開校した慶応義塾横浜初等部(横浜市青葉区)。合格者108人に対し志願者は1164人で倍率は10.8に上った。そのほか、▽慶応義塾幼稚舎(東京都渋谷区=志願1532人、合格144人、10.6倍)▽東洋英和女学院小学部(東京都港区=志願453人、合格50人、9.1倍)▽桐朋小学校(東京都調布市=志願274人、合格32人、8.6倍)▽早稲田実業学校初等部(東京都国分寺市=志願923人、合格123人、7.5倍)-などが続く。

 一方、公立と同様に学費のかからない国立小学校については、「とりあえず受験してみる」向きも多いと言われる。首都圏の10国立校のうち、最も倍率の高い筑波大学附属小学校(東京都文京区)は合格者128人に対し志願者は3994人、単純計算で31.2倍だ。そのほか、東京学芸大学附属大泉小学校(東京都練馬区=志願1327人、合格90人、14.7倍)、同大附属小金井小学校(東京都小金井市=志願1105人、合格105人、10.5倍)などとなっている。

 

 

アフタースクールが人気

 野倉氏に近年の「お受験事情」についても聞いてみたが、やはり「共働き家庭の増加」を指摘した。かつては「母親が働いていては無理」「保育園に通っていると不利」などとまことしやかに語られたが、「とにかく『子どもに時間が使える』『優先順位が子ども』ということを示すことができればまったく問題ありません」と力説した。

 むしろ、少子化から生き残りをかける私立小学校では、ワーキングマザーをターゲットに据えた動きが出ているようだ。昼食を弁当持参から給食に変えたり、学童保育・アフタースクールを併設したり、働きながらでも子どもを通わせやすい環境を整える学校が増えつつある。

 例えば「キャリアマザーサポート」を学校方針として掲げる新渡戸文化小学校(東京都中野区、児童数364人)。2011年4月、同小学校の児童とその兄弟姉妹、同校職員の子女を対象に、「新渡戸文化アフタースクール」を開設した。年末年始以外、夏休みなど長期休暇中も、保育士などの資格を持つ専門スタッフが、月-金曜日午後7時まで児童を預かる。曜日に応じて、「スポーツ」「芸術・音楽」「学習」のレギュラープログラムと、各分野の専門家を招いたスペシャルプログラムを用意。ある日はサッカーやチアリーディング、ある日は農業体験や建築体験と、さまざまに過ごすことができる。

 アフタースクールは、親の就労の有無にかかわらず毎日でもスポットでも利用可能で、1日当たり90-100人が利用しているという。費用は週5日利用で月額3万4000円だが、公立の学童保育などでは「午後6時まで」の施設が多いのに対し、常に「午後7時まで」サポートを受けることができる。

 学童保育をめぐっては、保育園と同様に「待機児童」の問題が深刻化。全国学童保育連絡協議会の調査(15年)によると、学童の待機児童は、把握できただけで前年比6418人増の1万5533人に上った。そうした中で、安心して預けられる場所が確保されていることは、共働き家庭にとって大きな魅力だ。実際、アフタースクール開設までは、定員60人に対し志願者数が同数程度だった同校だが、11年度入試では171人に急増。15年度入試でも志願者数180人、競争率3倍の人気を維持している。

 

 

 

 お受験準備の幼児教室も「ワーキングマザー歓迎」の様相だ。働きながら通わすことができるよう、土曜日のクラスなどが充実しているところが多いと聞き、筆者も試しに、大手教室をいくつか見に行くことにした。

 ちょうど「無料教育相談」を開催していた大手A社。仕事中、こっそりとインターネットで予約してみた。こちらの都合で、日時や場所についてかなり無理を言ったのだが、丁寧に対応してもらい、同社の東京都港区内にある教室で担当者に話を聞くこととなった。

 その教室が入るビルは、まさに「銀座のど真ん中」にあった。少し緊張しながら落ち着いた雰囲気の室内に入り、担当の若い女性と面会。2歳男児を保育園に通わせて仕事をしている現状を話した上で、「今は何だかよく分からないが、長じて勉強好きになりそうにだったら受験を考えてもいいかな」という趣旨のことを言ってみた。

 柔らかなほほ笑みを浮かべた担当女性は、筆者の話を聞きながら「お母さま、素晴らしいですわ」と何度も褒めてくれた。そして「働いているお母さまは多いし、大丈夫です」と何度も励ましてくれた。実際、同教室では土曜日に開講しているクラスが一週間の中でもっとも多く、受講定員も「土曜日から埋まっていく」らしい。

 話を聞きながら、もらったパンフレットをパラパラめくっていると、名だたる小学校の合格者プロフィールに「保育園」の文字がちらほら見えた。「おっ」と思い、真剣に数えてみると、合格者約60人のうち約20人が保育園出身。筆者も少し「お受験もありかな」と気持ちが盛り上がってきたのだが、受講料を見ると2歳児クラスでも週1回で月額4万円程度。入会金も10万円に近く、やはり生半可な決意では無理-と、思った次第だ。

 

 

学校には全面協力

 実際に「お受験」を経験したワーキングマザーに話を聞いた。東京都中野区在住、デザイン事務所で働く北山愛さん(仮名=44)。一人娘が都内名門女子大付属の小学校に合格し、現在は同中学校に通う。

 小学校を受験したのはもう10年近く前。「当時、働いているお母さんはすごく少なかった」と振り返る。娘はもともと保育園に通っていたのだが、「受験には不利になる」との周囲の薦めで、近所の私立幼稚園に入れた。しかし、「今考えると保育園だろうが幼稚園だろうが、関係は無かったと思う」。

 幼稚園年中の9月、個人が経営する幼児教室に入り、受験準備を始めた。同教室では、授業の様子を親が見て、その内容を家で実践するという形式を採っていたが、北山さんの仕事は、比較的時間が自由になったので対応することができた。同じクラスには医師として働く母親がいて、この家庭の場合は、ベビーシッターの女性がいつも「代打」で参観。「シッターさんが、猛烈な勢いでノートを取る姿が印象的だった」そうだ。授業の最後には、教師による親向けの講評があるのだが、ここに母親が何とか滑り込み、ノートをもらってバトンタッチ。そんな苦労を重ね、彼女の娘も第一志望の私立小学校に合格したと聞く。

 受験準備中、「猛烈な母親」を何人も見た。中には受験に夢中になり過ぎて、チック症が出るくらい子どもを追い詰めた親もいた。北山さん自身、受験直前に「どうしてこんな問題できないの」と、激怒しそうになったこともあったといい、「働きながらやるくらいでちょうどよかったのでは」と思い返す。

   

 北山さんの娘が入学したのは、一般的に「お嬢様学校」と言われる女子校だが、「共働きが問題になるようなことはまったく無かった」と思う。北山さんが受験した当時、同校の願書には親の職業を記載する欄は無く、備考欄に父と母の仕事を記入のだが、それについて学校側から具体的に何か問われることも無かった。ただ面接では、「『子どもといかに関わっているか』を念入りに聞かれた」。「子どもと触れ合う時間はおありなのですね」ということはきっちりと確認されたと感じている。

 入学してからは「全面的に学校に協力すること」が求められた。講演会や訓練など母親が参加しなければならない行事が月2-3回あり、PTAの役員もかなりの確率で回ってくる。仮に「仕事がある」というだけの理由で役員を断れば、周囲の反感を買うのは必至。どんなに忙しい母親でも、一度白羽の矢を立てられれば「務めなければならない」のが同校の不文律だった。

 北山さんも小学校6年のときにPTAの委員を務めた。多忙な小学校生活と仕事をなんとか両立させたが、「普通のサラリーマンのような勤務形態であれば、難しかったかもしれない」と感じる。しかし下の学年を見ると、同校のワーキングマザーは着実に増加。「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」の意識が定着し、働きながらでも、子どもの生活や学校と積極的にかかわることができるワーママも多くなっているのかもしれない。

 北山さんに小学校生活の感想を聞いたが、同校はいわゆる「お嬢様」のイメージとは異なり、どちらかというと大らかな雰囲気だそうだ。小学校から「女子だけ」の環境でも、活発な児童が多く「特別という感じはしなかった」。現在、中学生の娘は、学校行事やクラブ活動で忙しい日々を送る。今後も楽しく充実した生活が続くよう、母として願っている。

 

 

幼児教育のすすめ

 最後に、40年以上にわたり「幼児期の基礎教育」について研究を重ねてきた、幼児教育実践研究所「こぐま会」の久野泰可代表に話を聞いた。

 久野氏によると、氏が幼児教育に携わり始めた1972年ごろ、小学校を受験するのは大多数が「限られた家庭」の子ども。実施される学力試験も「知能検査的な問題」が中心で、一定期間トレーニングを積めばできるものだった。その後、高度経済成長を経て「いい環境で子どもを育てたい」という家庭が増え、小学校受験も一般化。「知能検査的な問題」では差がつかなくなり、算数や国語の要素を含んだペーパーテストが主流になった。

 

 結果として、詰め込み教育が過熱し、行き過ぎた訓練も問題化した。現在は、ペーパーを使わないテストや集団の中で様子を見る「行動観察」を導入する学校が増えている。詰め込み教育への反省と同時に、そもそも「ペーパー試験が仮に100点でも、入学後の学力の伸長は保証されない」という認識を学校側が持つようになったのだ。

 

 「近年の入試で問われている能力は、パターン化したペーパートレーニングによって身についた能力ではなく、具体物に即して、ものごとを筋道立てて考えていく『論理的思考力』」と久野氏は強調する。そうした意味において「小学校受験は幼児期の基礎教育の良い動機付けになる」というのも久野氏の考えだ。合格を目指して、それぞれ年齢、発達段階にふさわしい内容と方法で指導し、論理的思考力を育てることができれば、例え志望の学校に受からなくとも、今後につながる基礎力は残る。

 

 こぐま会は、都内3カ所で幼児教室を展開しているが、やはり仕事を持つ母親が通わせているケースが多く、「全体の半分ぐらいが土曜日のクラスに集中している」そうだ。一方で「子どもをいい環境で育てたいが、塾に通わせる時間も無く、一緒に勉強もできないと悩みを抱える女性も多い」ということで、これまでの実践内容を基に開発した「ひとりでとっくん」(全100冊)など、家庭用教材でも実績がある久野氏に、ワーキングマザー向けに家庭学習のコツを教えてもらった。

 

 まずは「お母さん、お父さんと分担して、30分でもいいから朝方、勉強をすること」。帰宅してからになると、子どもも母親も疲れていて学習にならない。ラジオ体操のように、朝に学ぶ習慣を身に付けることを薦められた。

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 「孟母三遷」という言葉がある。中国の戦国時代の哲学者・孟子の母親が、子の教育のために3度引っ越ししたという故事に由来する成語で、「子どもの教育には環境が大事」という教えだ。「教育熱心な母親」のたとえとしても使われる。これに対し、自分の息子に対する姿勢はどうだろう。「三遷」どころか、「仕事で疲れた」を理由に家では寝転がってばかり。「読んでー」と絵本を持って走ってくる息子に「しらんぷり」を決め込むことも少なくない。

 今回、忙しいワーキングマザーにも「孟母」が多いことを知り、筆者は少し、自分の態度を反省した。「小学校1年でみんな、同じスタートラインに立っているというのは幻想だ」と、久野氏は強調する。就学前の幼児期、生活や遊びの中で培われた思考力、学びへの姿勢が、その後の学力に影響してくるという。息子は大丈夫だろうか。

 とはいえ、すわ「小学校受験」というわけには、なかなかいかないだろう。まずは、ある程度の経済的余裕が必要だ。そして国立、私立小学校は、首都圏と大阪、兵庫、福岡などの一部に偏在していて、そもそも住んでいる地域に、学校が存在しなければ選択のしようも無い。

 それでもこれからは頑張って30分早く起き、絵本を読んであげようか。そして小学校に入学するまで、何か目標を持って、息子と一緒に学ぶことも考えようか。そんなことを思った。